Diary 『スーパーサイヤ人からあしたのジョーへ』 5/10
40Km地点通過、ここから10:00より60Kmの部がスタートを切ることになっているが、
まだ時間的には1時間以上ある。60Kmの部の人はここからスタートか、いいなー。
ここからスタートやったら後20Kmでゴールやいいな。恐らく同じようなことを考えている人は
私だけでないと思う。
しばらく走っていると、フルの表示を通過した。ここでの通過時間は3時間50分、
時間的には9:00前すごく速いペースである。普段走っているフルでも3時間50分というのは
過去の記録上3番目位に相当するぐらいのタイムである。キロ当たり5分30秒ぐらいで
走っている計算である。いつもこれくらいのペースで走れたらいいタイムが出るのになーと思った。
それほど今回の大会には気合いが入っているということだ。この地点でまだ足に余裕が
あるみたいだ。すごい、すごすぎる。
45Km地点ここで初めて走ってるおっさんより声をかけられた。恐らく、髪の毛を山嵐のように
立てていたため、よっぽど目立ったのだろう。どちらから来られましたか?と聞かれ、京都です。
声を駆けてきたおっさんは40過ぎぐらいで180cm位の長身でサングラスをかけいかにも
マラソンランナーと言う感じだった。おっさんは岡山の津山(湯原温泉の近く)より来ており、
市役所で働いているそうだ。私は「疲れますね。この100Kmマラソンというのは誰が
考えたんでしょうね。」と聞くと、「恐らく100Km何か走ったことのない人が考え出したんじゃ
ないかな。」と返事が返ってきた。心の中で、まさにその通りやな、いや、絶対にそうに決まっている。
と自分で納得していた。この時点で、キロ6分で10分ぐらい余裕があったが、足にはかなり余裕が
なくなっていた。と言うより、給水場で1回止まったりスピードダウンしてしまうと足がけいれんしてしまい、
吊りそうになっていた。やはりフルを越えると一気に足の衰えが来る。この時こそ走り出しと
言うのはこんなにパワーがいるのだなとつくづくと実感することが出来た。その事を考えると
今回現れたおっさんは救世主みたいに感じられた。結構だべりながら走っていると辛さも幾分か
和らげられるように感じられ、おまけにペース自体もキロ5分位のペースで走ってくれる。
はっきり言ってこの時点でこのペースはめっちゃ辛い。今にも足が吊りそうだ。ただ、ここで
置いて行かれると自分自身に負けてしまいそうで何が何でも付いて行かなあかん。
おっさんの話では目標10時間以内に完走したいとのことで、確かにこのペースで行くと確実に
行けるタイムである。ただ、ちょっとでもペースダウンしたらアウトやけど・・・多分このおっさんやったら
走れるような気がした。と言うよりも説得力がある。
このペースで60Km地点まで一緒に走りましょうとのことで頑張って付いて行くつもりだ。
ところが途中で便所に行きたくなり、55Km地点で置いて行かれてしまった。50mほど
離されてしまい、必死に追い付こうとしたが足が言うことが利かない、と言うより吊りそうだ。
完全に目標とする人が居なくなってしまい、なおかつペースもダウンしてしまった。ただ幸いなことに
62Km地点で関門がありあらかじめ預けて置いた着替えがある。ちょうど腹も減っているし、
ちょっとした食事も出来る。ただひたすらその事でだけ考えながら走っていった。恐らくペース的には
キロ6分台に戻っているだろう。去年もそうだったがまだここまで来て一度も歩いていない。
一歩一歩重たい足を運びながら進んでいった。あれから何分たったのだろうか心の中で、飯、飯、
飯が食えると励ましながら1Km、また1Kmと近づいていった。やっとの思いで、62Km地点に到着。
ちょうど6時間位で、到着出来た。去年と比べて1時間半早く着いたことになる。
ここは一時休憩所で、着替えが出来るが前回は靴下、Tシャツを着替えて休憩のしすぎで
筋肉が冷え切ってしまい、足が止まってしまった経験上着替えるのは止めることにした。
とりあえず、腹が減っていたのでおにぎりを5個ぐらい食べているとおっさんがスタッフにテープを
張ってもらっていたので、邪道であまり張りたくは無いけどここは走れてなんぼやと思い、
両ふくらはぎに張ってもらった。結構思ったより違和感が無く、引っ張られるようで
結構楽に感じた。腹ごしらえ終わったところで、筋肉が冷え切らんうちにとっとと走ることにした。
腹もふくれたし足もテープのお陰で、かなり回復した。63Km、64Km快調、快調、
横には四万十川が流れ、天気も暑くも寒くも無く、まさにマラソン日和といったところだ。
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