第一回福知山マラソンは現在の三段池公園スタートではなく駐車場で、送迎バスで
市民野球場よりのスタートでした。
道中はめっちゃ調子が良く高速スタート、でもロスタイムは10分でしたがハーフ通過時間は
ロスタイムを差し引いて1:25:??今から考えるととてつもないスピードです。
今のハーフベストは1:26:10ですので・・・。
あの頃は兎のようにぴょんぴょん飛び跳ねたような走り方で人からよく上に上がる力を前に
移動したらと言われました。・・・現在の走り方はその言葉からの改良された走り方と
なっています。
話はレースに戻りそんなとてつもないスピードで走っていると当然衰えが来るのです。
ペース配分が分からずそのまま走っていると23Kmより失速、25Kmで完全に足が
止まり歩きです。
筋肉はガラスのように固まり走ることが全くできず、人生初の屈辱でした。
さっきまでの走りはなんだったのだろうか?
もう止めたい!!!今までの練習はなんだったのだろうか?
じじい、ばばーには抜かされるしと悔しさいっぱいで4:35:43でゴールです。
実はこのときのゴール予想タイムは3:30:00だったので更にがっかりです。
やはりマラソンは甘くなかったのです。
その時の連れは2人ともタイムオーバーです。
そこでこれでは駄目だと次なる大会の申込みです。
連れは絶対にゴールしたいと探していたのが2月の木津川マラソンだったのです。
この大会は唯一タイム制限がない大会だったのでリタイヤしない限りはゴールできるのです。
私は次なる大会で福知山での屈辱を果たすべく再度練習開始です。
毎日が苦痛の練習で週末になるとお互いの走力を試すべく合同練習です。
嵐山周回コースor羽束師橋→久我橋往復or羽束師橋→渡月橋往復と走り三昧です。
おかげで当時の体重は52Kgだったのが47Kgに減量し走力もかなりUPしました。
もちろんこれだけの練習をしているのでサブスリーも眼中にありました。
大会当日、晴天、絶好のマラソン日和です。
走り出しも丁度いい2人組みのペースランナーもいたのでベッタリくっついて追走です。
25Kmまではイーブンペースでキロ4:10でサブスリーペースです。
ここで経験の少ない私の行動が命取りとなってしまったのです。
急に体が軽くなってきたので少しペースアップしてペースランナーの2人組を抜いて
しまったのです。
抜いて1Kmくらいでペースが分からなくなってしまい、そのままズルズルと後退です。
もちろんのことながら2人組もあっさりと抜かれる破目です。
原因は極度な減量でお腹が減り完全なガス欠です。