Diary    『サブスリー奮闘記』   2/10
                        そこで再リベンジをと・・・・、ちょうどその時に第1回福知山マラソンの宣伝が新聞に
                        載っていたのが始まりです。
                        どうやったら応募できるのかもわからず、まずは大会事務局にTELです。
                        大会用紙を送ってもらい、いざエントリーです。
                        当時は今のようにインターネットはなく、郵便書留が主流でした。
                        いろいろと話しているともう一人参加が決定です。
                        では、早速練習です。
                        でもどうやって練習するの?靴は?服装は?全くわからなかったので3人でスポーツ屋へ
                        行くことにしました。
                        まずはジャージ、うーメーカーもんは高いナイキ、アディダスは高いので2流メーカーで、
                        次はランパン、ランシャツまたまた全然わからない。
                        無難に黒で統一することにしたが後で気がついたのがランパンは黒地に白ライン、ランシャツは
                        黒字に緑の蛍光ラインで購入失敗です。これ以後一度もランシャツは着ないままで
                        タンス入りとなった・・・。
                        靴は後日個人で買いに行ったのだがこれもよくわからず、ザ・シューズで6000円くらいの
                        ランニングシューズを買いました。
                        知らずに買った割にメーカーはミズノでそこそこのシューズを買っていたようだった。
                        やっと練習ですが肝心のコースが決まっていない、車で家の周りを走り距離設定です。
                        そこで決まったのが現在の4Km周回コースとなったのです。
                        8月頭、やっと走り始めた初日、最初の100mは楽々と走っていたのだが500mくらいから
                        横腹が痛み出し失速です。
                        もちろんのことながら4Km完走できずです。
                        会社で走り仲間と相談するとやはり同じ状態だったみたいでした。
                        そこで毎週、金曜日に合同練習しようと決まったのです。
                        最初の練習場所は連れの一人が嵐山に近いとのことで車で移動して渡月橋、松尾大橋間の
                        周回コース4Kmを地道に練習していました。
                        だいたい3〜4周、調子のいい時で5周走っていました。
                        そして終わった後の食事会、銭湯が日課になったのもこのころからでした。
                        平日は練習会のメンバーにぬかされないようにと必死で夜中にも関わらず12〜16Km
                        毎日走っていました。
                        ・・・夜中というのは本当に夜中で23〜24時から走り始めでした。
                        あの頃はよく頑張っていたな。走り方も全然わからずひたすら月間400Km以上は
                        走っていました。
                        4か月みっちり練習を積んで自身満々で大会に出場したのですが結果は惨敗でした。
                        予想タイムは3:30:00で当時はこのタイム設定が早いのか遅いのか分からずに設定です。


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