Diary 『サブスリー奮闘記』 1/10 |
サブスリー奮闘記
2008年3月2日、とうとう念願のサブスリーである2時間58分09秒を達成するこ とが出来た。 ここまでの道のりは決して楽なものではないのである。
その前にマラソンを始めるきっかけから話します。 時は遡ること私が小学校の頃である。 もともと家の前が広い田んぼであったためか小さい頃から走り回るのが好きでほとんど外 で遊んでいました。 たまたま父親が健康のためと毎日2Kmのジョグが始まりです。 何もわからない私は弟、近所のガキと一緒に走っていました。 でも、学校では運動神経が鈍いほうだったので団体競技が嫌いで、みんなの足を引っ張ると感じ、 クラブも文化系でした。 中学でも同じく団体競技が苦手だったので運動部でも比較的楽そうな卓球部に入部したのですが 当然のことながらレギュラーなんか夢のまた夢で毎日が鬼ごっこ三昧でした。 その後も運動というのは全くせずにそのまま社会人へ。 ただ、恵まれていたのが病気をしない、小さい頃から走り回っていたせいか疲れを知らない タフさだけが自慢でした。
その時に2歳上の同期の方と仲良くなったのがきっかけでした。 入社して1年が経ったある日たまたまマラソンの話しになった。 それもその人は入社式の半月前にフルマラソンに出場したとのことです。 当時は全く興味のない私だったのでへー、すごいですね。と言う程度でした。 そりゃそうでしょう、市民のマラソンの大会があったなんて初めて聞くしフルはプロがテレビで 走るイメージでまさか素人が走れるわけがないだろうと思っていました。 しかし、よくよく聞くとその人は屋久島杉で有名な屋久島マラソンに出場し、起伏の激しい コースでなおかつ豪雨だったという。 練習はわからないながらも半年行い、走りすぎで当日は豆だらけだったという。 参加人数は忘れましたが4人のメンバーで出場、うち2人は完走、1人は途中リタイヤ、 肝心の本人は最高尾で女性の方とバトルしていたらしくなんとか41Kmまで到達、 しかしながらここで悪夢が・・・・。 後ろからメンバーを乗せたタクシーが・・・・、なんと・・・、飛行機の時間の都合で 残り500mというところで強引に車に乗せられそのまま空港へ直行だったらしいです。 ほとんど拉致状態だったみたいです。 それが悔しくて、悔しくて絶対に時間内完走と1年が経ったのです。
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