Diary    『涙の復活劇』   1/13

              涙の復活劇


              10月16日、四万十川ウルトラマラソンに出場してきた。
              去年は四万十抽選落ち、一昨年は飛騨52Kmでタイムオーバーと久しぶりのウルトラ出場である。
              本当はウルトラは引退したいがなかなかそうさせてもらえないのが現実である。
              走り仲間のヒルツさんが走る限りは付き合わなければならないのである。
              18年、17年前に出場した四万十川ウルトラマラソン、もう二度と走りでは訪れることが無いだろうと思っていたが再び戻る
              羽目になるとは思いもよらなかった。
              当時はまだ20歳代前半でウルトラを走るには早すぎる年齢でもあった。
              疲れを知らない20歳代はめっちゃ練習していたのである。
              5ヶ月前より毎月500Km走り大会に挑む、しかし初ウルトラは大会1ヶ月前より徹夜仕事が入り体が完全に普通人に
              なってしまい68Km地点9時間30分でタイムオーバーとなった。
              翌年リベンジとして同練習をこなして万全の体制で出場し見事に12時間切りが出来た。
              当時の大会はほとんど給食のエイドが無く後半はスタミナ切れを起こしながらのとても厳しいレースでもう二度と
              ウルトラには出場しないと決めていた。
              あれから17年、今年で10回目のウルトラ出場となる。
              昔の私に今も頑張っているよと伝えたいくらいである。

              今回は自分なりに頑張って練習してきたと思う。
              さすがに月500Kmは走ることは出来ないが今まで行ってきなかった練習をしてきた。
              大会5ヶ月前からの練習は同じだが大会までに70Km走をしようと決めていた。
              と言ってもそう簡単には70Kmを走らせてもらえない。
              今まで練習で50Kmが最高なため、なかなか集中ができず途中リタイヤする。
              練習では50Kmの壁を越すのはとても難しいのである。
              4/29 第1回挑戦、自宅→柳谷観音→ベニカン→高槻→枚方大橋→八幡→自宅でリタイヤ50Km。
              6/11 第2回挑戦、琵琶湖大橋→比良駅→琵琶湖大橋→唐橋→琵琶湖大橋だが石山駅でリタイヤ43Km。
              6/18 第3回挑戦、自宅→柳谷観音→ベニカン→高槻→枚方大橋→八幡→自宅でリタイヤ50Km。
              7/16 第4回挑戦、自宅→柳谷観音→ベニカン→高槻→枚方大橋→八幡→自宅でリタイヤ50Km。
              9/3 第5回挑戦、自宅→柳谷観音→ベニカン→高槻→枚方大橋→八幡→嵐山渡月橋→自宅70Km完走
              5月からの練習で最低限走ることが出来ることはしてきたつもりだがやはり不安が残っていた。
              年齢と膝の故障、気力と不安要素がいっぱいである。


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