Diary 『スーパーサイヤ人からあしたのジョーへ』 1/10
スーパーサイヤ人からあしたのジョーへ
1999年10月17日(日)死ぬまで走る会会長 2?歳現在、人生最大の地獄を見てきた。
「四万十川ウルトラマラソン」完走・・・・・・。
長かった・・・マラソンまでの道のりは6月よりの練習。今年の夏は特に暑かった。
最初は4kmから始まり8km、1ヶ月前になると16km走っていた。さすがに16kmにもなると
体調を崩し例の如く咳も出始めていた。
1週間前から休養を取ろうと思ってたけど飲み、残業で2週間前からの休養となった。
当日までにめっちゃ辛かったことは練習はさておき、6月よりの禁酒が最も辛かった。
会社のビヤガーデン、飲み会、ショットバーに行っても一滴も飲まずにいたことはめっちゃ辛かった。
普段あんまり飲まへんかっても幻覚がでるほどだった。このままやったらあかんと思い2週間前の
1週間だけ飲むことにした。さすがにスッキリした。
不安だったせっかく走るための筋肉が付いたのに本当に2週間前から休養取っても・・・
普段のマラソンやったら1週間前まで練習してるのに・・・
やることはやった後は大会当日に賭けるしかしょうがない。と自分に言い聞かせていた。
去年の身の前を踏まんように・・・
去年、あれは忘れもしない7月より練習を始め、1ヶ月前になってからニチコンの仕事が入り、
毎日が1,2時にになり練習、やる気が薄れてきた時に出場し、68km地点でバスに拾われ
屈辱のタイムオーバーとなった。
あの時はしばらくあまりにもの悔しさでゴールから離れられなかった。何でこの俺がタイムオーバー
やねん!タイムオーバーになったら引退しようと思っていた俺。このままやったらあかん!
来年絶対に完走したんねん。と思い続け1年がたった。
10月15日の仕事を定時に終わらせ、8時に出発した。例の如く瀬戸大橋で野宿となった。
不安を紛らわすため、愛用のVAIOより、連れにメールを送り床についた。翌朝、高知に向かって
再出発。瀬戸中央道より高知自動車道で高速を降り、56号線をひたすら走り続けた。
もう中村市へは5年連続来ているが、高速からこんなに遠かったかな?方向間違ってんちゃうんと
思いつつ1時間半かかった。いつ来ても変わってへんなー。いや、変わってほしくなかった。
俺の第2の故郷やから・・・
早速大会会場へ受付に行った。受付には地元の人が引換券と引き換えにゼッケンとプログラム、
Tシャツを手渡され、「頑張ってください!」と声をかけられた。会場を見渡すと、いかにもこれから
走るぞーとジャージ姿の人ばかりだった。俺はいつもの如く一般見物客のようなカッコだったが
今年はやけに気合いのせいか自信があった。
「どんなカッコしてても完走できるのは50%しかいーひんのやで!」と心の中で叫んでいた。
取りあえず腹が減っていたのでとっと出て駅に車を止め、昼ご飯を食べに行った。
ホテルの茶店みたいで結構可愛い子が交代制か知らんけど一人でやっていた。なぜかこの街に
来ると毎年可愛い子を見つける。やはり第2の故郷か?
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